笠寺観音の歴史と「笠寺」名前の由来

名古屋市南区にある尾張四観音の一つである、笠寺観音の歴史を簡単にまとめました。

笠寺観音の歴史

尾張四観音(荒子観音、甚目寺観音、龍泉寺観音、笠寺観音)の一つである笠寺観音は天平5年(733)に近くに住んでいた禅光上人は夢のお告げを受け、その霊木を彫らせて十一面観世菩薩の像を造り、堂を建て、そこに観音様をおさめ、寺号を天林山小松寺としました。

その後、約200年の歳月が流れ、小松寺は荒れ、お堂は崩壊し、観音様は雨風にさらされたままになってしまいました。ここにいた一人の娘(鳴海長者・太郎成高の家に仕え、ひどくこき使われていた)が自分のかぶっていた笠をとり、観音様に被せました。その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将・藤原兼平公が下向のおり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、自分の妻として迎えようと決心した。苦境を救われ兼平公の妻となった彼女は玉照姫と呼ばれることとなりました。この観音様によって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は延長八年(930)、この地に大いなる寺を建て、観音様を奉安し、寺号を小松寺から笠覆寺に改めた。この寺号が「笠寺」の名の由来です。

以来、現在に至るまで笠覆寺は「笠寺観音」の通称で親しまれ、厄除けや縁結びの観音様として、多くの人々の信仰を集めることとなります。

笠寺観音を1分で見る

2023年にリニューアルされた本堂の様子

本堂への道はスロープになっています。

笠寺観音へのアクセス

名鉄本笠寺から徒歩5分orJR笠寺から徒歩20分or名古屋市営バス「笠寺西門」から徒歩7~8分

2023年、リニューアルされて初のご開帳!

気になる方はぜひこちらから。

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