堀川沿いの道を歩いていると、ふと目に止まるこの標識。「東海道新幹線」、「東海道五十三次」、「東海道中膝栗毛」etc…誰もが一度は聞いたことがある「東海道(とうかいどう)」という言葉。東海道とは何でしょうか?簡単に説明いたします。
東海道の歴史
その歴史は江戸時代に遡ります。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、内政の充実に力を注ぎ、参勤交代の制度化や都市・商業の発達、交通制度の整備などをしました。その中で特に「道」の整備は、長く続く徳川時代を築き上げ理由の一つです。
古くから道は、①人による情報の伝達、②ものが動くことでの経済の発展、③道を媒介として文化の流布という役割を担ってきました。
江戸日本橋から京都三条大橋までの126里余りを「東海道」と呼び、その道中に53の宿場が置かれました。全行程の旅行には14~15日を要したと言われています。53の宿場は、旅行者の休泊と人馬の継立という2つの役割がありました。ちなみに、「東海等五十三次」は、東海道の宿駅を中心とした景観や習俗を描いています。
熱田宿(宮宿)について
その中で、熱田宿(宮宿)は東海道随一の宿場として栄えました。東海道41番目の宿で、248を数える旅籠(はたご)があり、人口は1万人を越え。熱田宿から次の桑名宿までは、東海道唯一の海路で、熱田の湊(みなと)には「七里の渡し」と呼ばれた渡し船の舟着場がありました。
熱田宿(宮宿)には、伊勢神宮に次いで格式高い「熱田神宮」もあり、旅行者は、ここで旅の祈願をして、先へ進んでいきました。現在、熱田神宮にある下知我麻神社は、旅行安全の神様として知られています。
愛知の“魅力”を再発見!#さぶかる@Aichi#さぶかる愛知#サブカル愛知#I LOVE 愛知