熱田区は湊だった?七里の渡しの歴史

名古屋市熱田区の歴史スポット「七里の渡し」(宮の渡し公園)には、熱田神宮へ訪れる観光客の方が、数多くいらっしゃいます。実は、熱田区一帯は江戸時代まで大きな湊でした。土を掘っていくと貝殻などが出てきて、昔は湊だった痕跡が見られます。

七里の渡しの歴史

江戸時代に遡ると、熱田周辺は大きな港(湊)でした。東海道の宿駅であった熱田は「宮」とも呼ばれ、桑名までの回路の舟着場としても栄えました。こちらが当時の様子。

東海道五十三次 宮 歌川広重 画
東海道五十三次 宮 歌川広重 画

一里=36町(江戸時代の東海道・中山道の場合)ほど、七里はその7倍になるので、歩いてその距離を移動するにはかなりの労力であることがわかります。

七里の渡しのシンボル

渡し場は城下町名古屋の玄関口として人と物資の輸送の面で重要な役割を果たしました。

時の鐘

「時の鐘」はそうした東海道を行き交う人々に時間を知らせるためにつくられたと云われております。

七里の渡しのすぐお隣には当時の面影を残す「熱田荘」という建物が有形文化財として保存されています(現在はグループホームとして利用)。

東海道が気になった方はこちらへ。

七里の渡しからは、かつての熱田湊を思い出させる風景を楽しむことができます。イベントがあると、ここから船が出ているようです。*調べる限り、定時便はなさそう…

散歩道もしっかりしてるので、湊を思い起こしながら、お散歩するのも気持ちいいですね!歩き疲れたら、休憩できるスペースもあります。

七里の渡しを1分で見る

アクセス

  • 名古屋市営地下鉄「熱田神宮伝馬町」から徒歩11分(800m)
  • 名古屋市営バス「七里の渡し」下車すぐ

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