堀川は名古屋市を流れる一級河川として有名です。堀川の河口は、江戸時代に湊であった熱田(現:名古屋市熱田区)。「七里の渡し」(宮の渡し公園)は、その名残りとして残っています。
七里の渡しから河口へ進むと名古屋港に出ます。河口付近の堀川沿いは、造船所が連なっています。逆に堀川を上流に昇っていくと、景色が変わり、民家やマンションが連なって並んでいます。さらに上流へ進むと、名古屋城の方まで続いています。
堀川のはじまり
堀川は名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として生まれました。あの、徳川家康の命で福島正則が普請奉行(ふしんぶぎょう)として、工事にあたったと云われています。開削時期については、慶長15年説と同16年説があり、名古屋城の築城に合わせて開削されました。堀川の両岸には、藩の米蔵、屋敷、商家の納屋等が並び、材木場や船蔵が置かれます。現在の白鳥庭園のあたりは、当時、材木場でした。米殻、炭薪、竹木、器材、魚菜の類、諸雑物を湊の熱田から城下町名古屋へ運送する役割を堀川が担っていました。まさに堀川は「名古屋の大動脈」として、その発展に寄与しました。
堀川の衰退
名古屋が産業都市へ成長を続けていた大正時代の終わり頃から、堀川は水質汚濁など、それまでにない問題が見られ始めました。さらに、ゴミの不法投棄が追い打ちをかけ、昭和41年に水質汚濁はピークを迎えました。物流手段としての役割も、水上交通(船)から陸上交通(トラック)に変わり、人々も遠さがっていきました。
堀川の再生
昭和61年(1986)、堀川の大改修が市政百周年記念事業に位置付けられ、平成4年(1992)にマイタウン・マイリバー整備計画が認定されると堀川の整備は大きく進み始めました。現在は、護岸の整備と河道掘削にあわせたヘドロの除去を順次進めとともに、水辺環境や水質の改善に努めています。
堀川に住む生き物
水質浄化の取り組みにより、姿を消していた魚や水鳥たちが戻ってくるようになりました。現在では、さまざまな生き物が生息しております。その一部をご紹介!
ギンフナ
青みがかった銀色で、日本のどこにでもいる魚
カワセミ
背中から尾にかけては明るいコバルトブルー。空中にボバーリングして、えさを捕まえる
カワウ
堀川全川で見られ、潜って魚をとる姿が見られる。名古屋城のお堀にたくさんいる
モクズガニ
はさみにやわらかい毛が生えて、藻のように見えることから命名
イシガメ
甲羅のふちがギザギザ。全国的に減少。堀川全域に生息
ボラ
河口では水面に飛び跳ね姿が!春に堀川をみるといっぱい飛び跳ねています
アメリカザリガニ
昭和の初め頃に、食用ガエルのエサとして、アメリカ輸入。白鳥公園の池にたくさんいる
コイ
堀川の上流に生息
その他、コサギ、マガモ、ミシシッピガメ、イシガメetc…
名古屋市内で人が集まる元気なエリア、名古屋城、栄、大須、鶴舞、金山、熱田(さぶかる@Aichiメインエリア)のスグ横を見ると、堀川が流れていることに気づきます。それは、200年以上昔の江戸時代から変わらず続いることです。1本の「川」の存在が街の発展に深く関係しています。堀川がなければ、名古屋発展の歴史は大きく変わっていたことでしょう。ちなみに堀川は人工河川です。当時のことはよくわかりませんが、江戸時代となると、そこまで機械が発達していたとは思まえません。多くの人が大変な労力をかけて作り上げたと考えられます。そんな堀川が数百年の時を経て街を支え続けている。堀川は偉大な川なのです。このような堀川の歴史を知ると、今までと堀川の見方が変わりませんか?
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