大須の歴史スポット「那古野山古墳」と「柳下水」

那古野山古墳(なごややま)と柳下水(りゅうかすい)は大須商店街近くの那古野山古墳公園にあります。大須の歴史と祭りのパネルが新設され、柳下水もここに移設されました。

那古野山(なごやま)古墳

5世紀中頃に造られた前方後円墳と推定されており、現在、直径22メートル、高さ3メートルあまりの円墳状の部分のみが残っています。江戸時代は清寿院境内に取り込まれており、浪越山と呼ばれていました。

柳下水(りゅうかすい)

尾張名古屋の三名水は、亀夫の清水と蒲焼町風呂屋の井戸水とこのあたりにあった清寿院の井戸水といわれておりました。江戸時代、柳のほとりにあった井戸は、将軍家上洛のときには、その飲料水として用いられるほどでした。

名古屋のど真ん中にある大須の古墳に登ってみましょう♪

豆知識

那古野(名古屋)は、平安末期の那古野庄以来、庄館がつくられ集落も生まれました。戦国期、駿河の今川氏の力が及び、「柳の丸」という城を築きました(現、名古屋城二の丸庭園から三の丸あたり)。これに対し、清須の守護代織田大和守家の家臣にしてその三奉行の一人であった勝幡城主の織田信秀(信長の父)が今川氏を追い、その領地や熱田湊の支配をし、「那古野城」と命名、大改修の上新しい居城としました。信秀は、津島や熱田からの財力で勢力を伸ばしていきました。この時に萬松寺が造られました。信秀が古渡城を築き移ると、信長が那古野城に入ります。

大須周辺には「織田家」に縁あるお寺がたくさんありますよ!

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