名古屋市市政府資料館には、とてもわかりやすく明治〜平成にかけての名古屋市の歴史資料が展示されています。今回は名古屋市発展の歴史について簡単に解説します。
名古屋の歴史
約250年に及ぶ徳川藩体制が崩壊し、明治4年(1871)の廃藩置県後、名古屋区として初めて独立の行政区になりました。そして、明治22年(1889)10月1日、名古屋市が誕生しました。明治時代から昭和時代にかけての名古屋市は以下のように発展していきました。
明治:鉄道・港湾の整備で商工業都市として順調に成長
↓
大正:周辺16の町村が合併、面積・人口が飛躍的に拡大
↓
昭和:人口100万人突破!名古屋港・名古屋駅などの都市施設が整備
我らのシンボル名古屋駅
名古屋駅は明治19年5月に木造の駅舎として建設され、現在のJR名古屋駅から200mほど南の笹島交差点付近にありました。その後、明治22年(1889)に新橋~神戸間に東海道新幹線が全通し、名古屋駅も東海道線の一駅となり、名古屋の玄関として発展していきました。昭和12年2月、東洋一といわれた鉄筋コンクリート造りのモダンな新駅舎が完成しましたが、平成5年に解体され、平成11年(1999)に現在のJRセントラルタワーズとして生まれ変わりました。名古屋駅の周辺では、平成18年(2006)に高さ247mのミッドランドスクエアが建設され、高層ビル化が進みました。ちなみに、2023年3月末で閉館した名鉄レジャックは1972年11月にオープンしました。
名古屋の経済
都市の発展と経済の関わりは深いものがあります。明治初期の名古屋では、七宝、提灯、扇子、鼻緒、組紐といった江戸時代からの手工業が主なものでした。明治の中ごろから、綿糸、織物などの紡績工業が広がり、時計、マッチ、セメント、ガス、車両といった産業が成長、さらに電気製鋼、自転車、航空機などの産業が発展しました。昭和に入ると、7年(1932)には、国産自動車「アツタ号」が製造されました。
自動車が出てきましたね!愛知といえば、車、そして、トヨタ。
その後、日中戦争が始まり、軍需品中心の重工業が急速に成長しました。太平洋戦争で空襲を受け、壊滅的な打撃を受けましたが、戦後の復興はめざましく、臨海地帯を中心とする重化学工業、自動車産業という主要産業を生み出しました。
▼旧車ブームの昨今、トヨタの名車パブリカがレストア
戦後の名古屋
昭和20年(1945)8月15日、戦争が終わると、復興に立ち上がりました。テレビ塔の建設や地下鉄の開通など都市基盤整備が進めらました。昭和30年(1955)から周辺市町村を合併し、人口は200万人を突破。現在は229.6万人(2015)となっています。ちなみに、戦争で消失した名古屋城は、昭和34年10月1日に再建されました。名古屋城にいく前に知っておきたい豆知識もぜひお読みください。
名古屋のイベント
名古屋は博覧会で発展したといわれます。全国各地の物産品を一堂に集め、広く世間に紹介することは、製品の改良、販路拡大につながり、産業を刺激し、奨励することに役立ちます。明治以降にいくつか開かれた博覧会にうち主なものは3つあります。
明治43年(1910)関西府県連合共進会:260万人
昭和3年(1928)御大典奉祝名古屋博覧会:190万人
昭和12年(1937)名古屋汎太平洋平和博覧会:480万人
その伝統は、平成元年(1989)「世界デザイン博覧会」や平成17年(2005)「愛・地球博」に引き継がれていきました。現在、愛・地球博の会場となったモリコロパーク内に、ジブリパークオープンして多くの人を集めています。そういう点では、名古屋はイベント上手なのかも。
参考:市政資料館資料
愛知の“魅力”を再発見!#さぶかる@Aichi#さぶかる愛知#サブカル愛知#I LOVE 愛知