熱田神宮にある二十五丁橋で西行法師に詠まれた歌が熱田の由来と言われています。歌と地域の関係を見るのも興味深い。実際に詠われたものがこちら。
ア〜宮の熱田の二十五丁橋でエ〜
ア〜西行法師が腰をかけ
東西南北見渡して
これ程涼しい此の宮を
たれが熱田とヨーホホ
アーアア名付けたエ〜
トコドッコイ ドッコイショ
この甚句を要約すると、宮の熱田の二十五丁橋で西行法師が腰をかけ、東西南北を見渡して、これほど涼しいこの宮をたれが熱田と名付けた。
こちらが熱田神宮にある二十五丁橋の写真(実際、二十五丁橋は25枚の板石が並んでいる)。橋は補強されて渡れるようになっている。
甚句とは、七・七・七・五の4句形式で土地土地に歌われている唄のことです。松尾芭蕉も、旅の初期に熱田へ訪れ、七里の渡しからの舟遊びで、あゆち潟を楽しみ、熱田三歌仙を残しました。
「この海に 草鞋捨てん 笠しぐれ」
「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」
「なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草」
松尾芭蕉は、舟遊びがきっかけで、五・七・五の唄、俳句を開拓したそうです。
*「あゆち潟」とは?
熱田は熱田台地を除いて海でした。台地は三方海に囲まれて、この付近に広がっていた海を「あゆち潟」と呼びました。
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